見出し画像

『大学授業で対話はどこまで可能か: 「21世紀の教養教育」を求めて 』【ブックレビュー#44】

このコーナーでは、大学基準協会職員が自らの興味・関心に基づく書籍等を紹介しつつ、それぞれが考えたことや感じたことを自由に発信していきます。大学の第三者評価機関に勤める職員の素顔を少しでも知っていただけたら幸いです。なお、掲載内容はあくまで職員個人の見解であり、大学基準協会の公式見解ではありません。

 こんにちは。評価研究部の原です。今回のブックレビューでは、今年9月に本協会が開催したスタディ・プログラム(正会員対象)で講師を務められた澁川幸加先生(中央大学)が参加者にお勧めされていた一冊を取り上げます。大学での授業が現在どのように行われているのかという純粋な興味から、読んでみることにしました。

鬼塚哲郎、川出健一、中西勝彦『大学授業で対話はどこまで可能か: 「21世紀の教養教育」を求めて』ナカニシヤ出版、2024年

はじめに

 本書は、京都産業大学のキャリア教育科目「キャリア・Re-デザイン」の授業実践が紹介されたものです。この科目の受講対象者は、「低単位学生」と呼ばれる学生たちです。本書は2部構成となっており、第1部では授業の実践報告が、第2部では科目の理念と歴史が記されています。

  • 第Ⅰ部:「キャリア・Re-デザイン」の流れ(科目の概要と受講生像/1日目:授業ガイダンス/2日目:相互承認の場づくり/3日目・4日目:合宿での物語づくり/5日目:社会人との対話/6日目:これまでの振り返り/7日目:5分間スピーチ)

  • 第Ⅱ部:「キャリア・Re-デザイン」を考える(授業を考える/ファシリテータの多様性を考える/授業の質保証/授業の沿革/ある受講生の物語)

 「はじめに」では、この科目に携わる関係者の熱い思いが詰まっており、読んでいるうちに「プロジェクトX」の音楽が脳内で流れるような感覚を覚えました。

「私たちが問題と感じているのは、何らかの理由で自分の学部の学びに充分な関心を抱くことが困難なため大学の教室に居場所が見つからず、「このまま大学生活を続けていいとは思えない。でもどうしたら今の、授業から足が遠のいている状態から抜け出せるのだろう?」と忸怩たる思いを抱えつつ日々を過ごしている人たちに、大学が何も提供できていないということのほうだ。」
「学生たちにどうしたら自己決定や自立への道を示すことができるのだろうか」

(i頁)

質保証とファシリテータの成長

 2004年の教職員用食堂での立ち話から始まり、2005年度秋学期には随意科目として開講、2006年度からは正課科目となりました。担当教員1名と社会人のファシリテータ3名での運営からスタートし、翌年度には学生もファシリテータとして参画するようになりました。その急速な展開には驚かされます。(なにか「危機」が生じるのかしら?)と、もはや勝手に「プロジェクトX」化して読み進めている自分に呆れつつ、第Ⅰ部のファシリテータの振り返りや第Ⅱ部第12章「ある受講生の物語」を読むと、この科目が単に学生の成長を支えるだけではなく、ファシリテータを務める教員、社会人、学生にとっても成長の場となっていることが伝わってきます。

 質保証機関のスタッフとして特に考えさせられたのが、「授業の質保証」の章です。教育実践における基本的な質保証モデルとして、ADDIEモデル、形成的評価と総括的評価が紹介され、その後、この科目特有のファシリテータによる振り返りを「ファシリテータの信念形成」として位置付けています。これは「メタ的な質保証モデル」として説明されており、「測定可能な到達目標を設定できない学習」の評価方法を考える上で示唆に富む内容でした。質保証のターゲットを、授業コンテンツ、教材、授業運営方法だけではなく、ファシリテータ自身の信念体系にまで広げている点が興味深いです。

 また、「ファシリテータの多様性を考える」(第9章)では、学生ファシリテータの持つ3つの機能が挙げられています。
①受講生を対話の場に巻き込む機能
②学生文化と教員文化の翻訳者としての機能
③自身の学びを深める機能

です。これは、本協会が進めている「質保証における学生参画」にも関連する内容で、ぜひお話を聞きに行きたいと感じました。

終わりに

 多くの大学でキャリア科目や初年次ゼミといった導入教育が行われています。入学時に「不本意入学」であったとしても、大学での学びを通じて学生たちが成長していけるようにと、大学関係者は日々努力を重ねています。

 自分の学生時代を振り返ると、大学で受けたすべての授業が面白かったとは言えず、決してまじめな学生ではありませんでした。先生が学生の顔を見ずにひたすら本を読む授業では、他の科目の課題を行い、授業が始まってすぐ配られるプリントを受け取ってアルバイト先に向かったこともありました。それでも今でも記憶に残る授業があり、それらの授業では先生が学問の面白さを熱意を持って語り、問いかけてくれました。

 山田創平先生はそのコラムの最後にこう述べています。

「この授業で、教育という名を借りつつ、ずっと学び続け、考え続けていたのは他ならぬ私自身であったのだろう。それだけはおそらく疑いがない。」

(151頁)

こうした教育者がより多く存在することを願ってやみません。


この記事が参加している募集