『東京大学の式辞 歴代総長の贈る言葉』【ブックレビュー#37】
入局31年目の田代と申します。いきなりで恐縮ですが、私は人前で話をするのが苦手です。職歴がある程度長くなると、人前でお話しする機会もそこそこ出てくるものですが、私は人見知りのうえに極度のあがり症なため、そのことに非常な苦手意識があります。そんな私が今回ブックレビューに選んだのは、石井洋二郎氏の『東京大学の式辞』です。
はじめに
本書を選んだ理由としては、本協会の理事や調査研究プロジェクトのメンバーをお務めくださった石井先生と接する機会をいただき、高潔でありつつ決して偉ぶらないそのお人柄に魅かれて、ご著書を是非拝読したいという思いがありました。ただ、名だたる東大総長が式辞でどのようなことを話したのかを知ることで、自分の苦手(=人前で話すこと)克服に少しでもつながればいいな、などという不埒な思惑もないわけではありませんでした。
結論としては、本書を読んだところで人前で話す仕事が苦でなくなる、などというムシのいい話はなかったわけですが(当然のことです)、本書では各式辞が語られた当時の時代背景や大学の状況、それらを踏まえた歴代総長の様々な思いが丁寧に考察されており、予想をはるかに超える実り多い読書となりました。
本書の構成
本書は、東京大学が創立120周年を記念し刊行した『東京大学歴代総長式辞告辞集』(1997年10月)に収載された全152編に及ぶ式辞告辞の中から、石井氏がここぞと感じた部分を抜粋し、そこで語られる事柄の背景を含めて解説したものです。
同式辞告辞集に収載されているのは、初代総長渡辺(わたなべ)洪基(ひろもと)の卒業式式辞(1886年7月10日)から第26代総長蓮實(はすみ)重彦(しげひこ)の入学式式辞(1997年4月11日)までであり、『東京大学の式辞』は、これらを「第1章 富強の思想、愛国の言葉(1877~1938)」から「第8章 未来へ伝達すべきもの(1993~2001)」まで8章に分けて解説するとともに、「補章 いま君たちはどう生きるか」を立てて「近年マスコミでも話題になった3つの来賓祝辞」を紹介しています。
総長のあぶない発言
紹介されている式辞はどれも興味深いものばかりです。個人的には、白虎隊の生き残りである山川健次郎第9代総長の「国家が大学を設けて諸子を教育するのは、国家の須要に応ずる人才を養成する為めである。諸子は国家の為めに学問するものであつて、自己の為めに学問するものではない。」(20ページ)とのゴリゴリな国家主義的発言や、文化勲章受章者でもある森亘第23代総長の「神様が東大出に割り当てて下さるのは、ほぼ東大と同様にダサイ某女子大学の卒業生程度である。」(175ページ)との自虐的かつハラスメント要素満載の発言など、少々枠からはみ出したエピソードを面白く感じました。
戦時下総長の国家主義的発言
しかしながら、本書のなかでとりわけ注目されるべきなのは「第2章 戦争の荒波に揉まれて(1938~1945)」から「第3章 国家主義から民主主義へ(1945~1951)」へと至る、戦中戦後の国家的困難期に東京大学の総長職を担った方々の発言と、それらに対する石井氏の冷静でありながら温かみのある解説かと思われます。
石井氏は第2章の冒頭で、国家が戦争への道を進み始めたとき、当然ながら大学はこれを押しとどめることに尽力すべきであるとの、現代の日本人なら誰もが抱くであろう共通認識を示しつつ、残念ながら実際の戦前の東京大学はそうでなかったと指摘しています。事実、戦火激しい時期の総長式辞には、以下のような表現が確認されます。
石井氏は内田総長のこれらの発言を「学生たちを戦地へと駆り立てるような発言」と評しています。しかしその一方で、次のようなエピソードを紹介し、同総長の別の事績にも光を当てています。
戦時新制大学の象徴としての一般教養教育
第3章では、終戦を経て、社会も人々の考え方も大学のあり方も悉く大転換を迎え、いよいよ学問の自由に基づく新しい東大総長の決意が述べられることになります。戦後初の総長である南原繁氏(第15代総長)が、学問のあり方を問う上で重視した「普遍的教養」に関連する発言もその一例と言えます(1949年7月の入学式式辞)。
こうした南原総長の発言は、現在の大学にも引き継がれる「一般教養的教育」の考えに直接的に繋がるものです。大学基準協会の大学基準は、南原式辞に先立つ1947年7月に成立していますが、その特質の一つとして挙げられるのは、人文科学・自然科学・社会科学からなる「一般教養教育」の重視 ― 具体的には一般教養科目の設置と修得の義務付けです。
当時、大学設置のための基準でもあった大学基準がこのように一般教養教育を重視したのは、「在来の大学は、教育の面ではもっぱら専門教育乃至は職業教育を重視して、いわゆる一般教育の部面を閑却した」ものであったとの反省のもと、これからの社会においては「専門家であると同時に、各方面の理解があり、いろいろな事柄について正しい判断と評価をなし得る自主的人物を必要とする」との考えに立ったためです(大学基準協会『大学に於ける一般教育』)。新制大学を象徴する一般教養教育重視の考えと南原総長の思想とは、非常に相似的な関係にあったものと理解できます。
全編を通じた本書の魅力
以上、第2章、3章から紹介してみましたが、本書が紹介する総長式辞は、これら戦中戦後のものよりも、ボリューム的にはむしろそれ以降のエピソードの方が圧倒的に厚くなっています。その中には、「諸君の生涯を高貴なる目的のためにささげよ」(矢内原忠雄第16代総長)、「自分の頭で考える」(大河内一男第18代総長)、「何事にもあれ一度疑ってみる」(平野龍一第22代総長)など、示唆に富むものがふんだんに含まれており、読むに飽きない魅力に満ちています。
終わりに
私が一つショックだったのは、東京大学では1967年度から1989年度の間、卒業式を開催していなかったということです。学生紛争の煽りを受けてとのことですが、やむを得ない事情があったとはいえ、1~2年ではなく20年以上もの長きにわたって卒業の舞台が未開催だったということは、学生達にとって非常に気の毒なことです。このことは換言すれば、総長にとっても学生に相対した卒業式式辞を語ることができなかったことを意味しています。
自らが総長を務める大学のもと、苦労して学びを積み重ね、晴れて卒業の春を迎えることができた学生達に対し、何らの祝福も未来に向けてのメッセージも、面と向かって伝えることのできないもどかしさには、想像を絶するものがあります。
そのことを考えると、どのような環境であれ、また誰に対してであれ、自分の考えを自分の口で表現し伝えられることについては、その幸せに感謝しなければならないと実感しました。私は人見知りであがり症ですが、人前で話させていただく機会があることは幸せなことなのだと考えなおさなければならない。本書から得られるものは数多ありますが、こうした気づき(?)もその一つと言えるかもしれません。