JUAA職員によるブックレビュー#23
こんにちは。評価事業部評価第1課の新海と申します。
入職後5年間、大学と短期大学の評価を担当してきました。
今回私が選んだ本はこちらです。
私は大学では政策学を学んでいたのですが、もともと心理学やカウンセリングというものにも興味があり、今回こちらの本を手に取ってみました。
本書は、大学で学生相談を担うカウンセラーの方々が書かれた本です。
大学に入ることが特別なことではなくなった今、受験生は世の中にあふれる多くの情報にアクセスし、自分の行きたい大学を選んでいると思います。しかし、この本の著者は、情報を多く得て進路を決めたとしても、「大学に入ってから道に迷う人が増えている」と感じたそうです。
さまざまな情報から、その大学で何を学べるかはわかるとしても、激変する社会のなかで、「大学は何のために行くべきところなのか」「学生生活は自分のライフサイクル(一生)のうちにどのように位置づけられるのか」といった視点からの案内が欠けているとの問題意識のもと、「一人一人の心の専門家の目を通して見たキャンパスの様相が描かれている、一味違った大学案内」として本書を執筆したとしています。
内容は、①大学生はいま ②キャンパスライフ こころの四季 ③ゆたかな学生生活を送るには の3部から構成されています。
大学が生まれた歴史的背景を説明したうえで、現代の若者文化や青年期の心の課題といった、大学生の置かれている状況を①で述べ、②では、大学での学びや友人作り、クラブ活動・アルバイト、摂食障害や卒業時の課題等、大学生活におけるさまざまな事象を心の面からとらえ、事例を用いて説明しています。
最後に③では、大学における「学生相談」が果たす役割について述べています。
私が本書を読んで印象に残ったのは、多くの人が大学生活を過ごしながら経る「青年期」の重要性です。
本書では、青年期はさまざまなことに取り組みながら、自分はどんな大人になろうとしているのか、社会の広がりのなかで自分自身について考える時期であるとしています。大学においては、アルバイト、サークル、ボランティア活動、大学を中断しての芸術活動や市民運動、世界放浪の旅、非行、カウンセリングを受けることなど、試行錯誤を繰り返すことで、「私は何者なのか」という問いに取り組んでいきます。
そのうえで、現代の日本社会は、青年の「私は何者なのか」という問いに取り組むことを困難にしている可能性がある、と他の文献(栗原彬著『やさしさの存在証明―若者と制度のインターフェイス』新曜社、1989年)を紹介しながら青年期の課題を考察しています。
すなわち、本来青年が自由な期間を過ごせるはずの「モラトリアム」は、大学という社会秩序の制度のなかに組み込まれてしまっており、学生の試行錯誤はせいぜいアルバイト、ボランティア活動、サークル活動といった危なげのない囲いのなかのことになってしまっていること、また、日本社会は、既にある社会の秩序のレールを走ることしかありえないようなステップを用意し、そこからの逸脱は決して許さないというメッセージを発しているということです。
このような課題を踏まえ、著者は以下のように述べています。
私はこの箇所を自分の大学生活を思い出しながら読んでいました。自分がやりたいことをある程度自由にできる環境にありながら、目の前のことや社会のレールに縛られていたのではないか、友人のチャレンジやもがきに対してももっと大きな心で応援することができたのではないかと自分を振り返る機会になりました。
また、現在は大学に関わる仕事をするなかで、各大学における学生支援の取り組みを知ったり、「退学率」や「休学率」といった数値を目にしたりすることがありますが、その見え方も変わりました。単に数値では測れない、表面的なものだけでは見えないことも多くあるということを改めて学ぶことができました。
改めて、本書はカウンセラーにより執筆された“一味違う”大学案内との位置づけでしたが、そのとおり、単に大学の情報ではなく「大学生活」とはどのような期間なのかということを学び、考えさせられる本でした。大学生活に重なる青年期は「私は何者なのか」という重要な問いに取り組む期間であり、そのことを知ったうえで、どのような環境(大学に限らず自らが望む環境)で青年期を過ごしてみたいのか、どのようなことにチャレンジしてみたいのかを考えることが重要だと思いました。
大学で学生支援に携わっている方はもちろん、これから大学に行こうとしている方や、大学生にもおすすめの一冊です。