見出し画像

『教養を深める 人間の「芯」のつくり方 』【ブックレビュー#43】

このコーナーでは、大学基準協会職員が自らの興味・関心に基づく書籍等を紹介しつつ、それぞれが考えたことや感じたことを自由に発信していきます。大学の第三者評価機関に勤める職員の素顔を少しでも知っていただけたら幸いです。なお、掲載内容はあくまで職員個人の見解であり、大学基準協会の公式見解ではありません。

はじめに

 みなさんこんにちは。評価研究部国際企画室の伴野です。
 皆さんは、自分に教養があると思いますでしょうか。
 「自分には教養がある。」と自信を持って言える人はなかなかいないと思います。
 また、本当に教養のある人がそういう発言をするかというと、懐疑的です。
 そこで、「教養」を辞書で引いてみると、「学問、知識などによって養われた品位」と書かれていました。
 つまり、「自分には教養がある。」と自分で言える人は、「自分には品がある。」と言っていることと同義とも言えます。品のある人の言葉とはとても思えません。
 だから、「自分には教養がある。」という言葉に疑問を持つことは、無理のない話です。
 では、どうすれば教養を自分のものとすることができるのか。
今 回ご紹介する以下の本では、リベラルアーツ≒教養と捉え、東京女子大学の学長である著者が4人の識者と対談する中で、その本質に迫っています。

森本あんり『教養を深める 人間の「芯」のつくり方』PHP新書、2024年

【目次】
〇第1章 リベラルアーツの歴史点描
〇第2章 「憧れる力」を原動力に
〇第3章 宗教は「学ぶ」ものではない 対談者:五木寛之(作家)
〇第4章 「国語と教養」を軽視する愚かさ 対談者:藤原正彦(数学者)
〇第5章 日本人が「新しい知」を生む時代へ 対談者:上野千鶴子(社会学者)
〇第6章 ChatGPTで教養は得られない 対談者:長谷川眞理子(人類学者)

リベラルアーツの起源

 ここで、リベラルアーツの起源について、本書に書かれている内容を要約します。
 それは古代ギリシアにまで遡ります。ギリシア語のエンキュクリオス・パイデイア(自由人のための円環的な教育)という言葉がその語源で、人間性全般を広く涵養する教育を意味する言葉だったそうです。
 この時代の自由人とは、生まれにより奴隷でない人のことでしたが、今日のリベラルアーツ教育は、生まれのゆえに「自由である」人のための教育から、誰もが「自由になる」ための教育へと変わってきました。

五木寛之氏との対談から

 五木氏は、リベラルアーツを「自由を獲得するための戦う技術」と表現しています。戦争下での抑圧的な体験を経験している五木氏だからこそ、制限や拘束から自らを解き放つものとしてリベラルアーツを捉えており、前段に記述した、誰もが「自由になる」ための教育とも符合する部分です。
 また、五木氏との対談の中では、ファスト教養について言及されています。
 ファスト教養という言葉は、ライターのレジー氏が2022年に出版した著書『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』で提唱したもので、「ビジネスシーンでうまく立ち回ったり、お金を稼いだりするために、教養と呼ばれるものを手っ取り早く大雑把に仕入れていくこと」を指します。
 タイムパフォーマンスという言葉が浸透してしばらく経ちますが、ファスト教養はタイムパフォーマンスの親戚のような存在でしょう。しかし、タイムパフォーマンスを重視したファスト教養は、本当に教養と言えるのでしょうか。

 五木氏から、

「ドストエフスキーの書物に対して、中途半端に読んでも本領はわからないからと諦めて一生手に取らないことと、「三十分でわかるドストエフスキー」などの解説動画を見て、作品の匂いだけでも嗅ぐこととは、どちらがよいと思われますか。」

(69頁)

と問われた著者は、こう論じています。

「本を読むということは、結局誰でも自分の中に自分なりの「◎◎分でわかるドストエフスキー」をつくることなのではないか、ということです。」

(69頁)

「ドストエフスキーの著作を読み終えると、自分の中に圧倒的な印象が残るでしょう。強烈な場面や人物の言葉、共感したところや疑問に思ったところ。(中略)それはあくまでも「私にとってのドストエフスキー」です。だから別の人にはあまり意味がありません。これは「◎◎分でわかるドストエフスキー」も同様で、それはあくまでもそのダイジェストを作成した人が築いたドストエフスキー観にすぎませんから、結局それは他人のフンドシなんです。本を読むことは自分の中に世界観を構築することですから、他人が整理したノートを読むだけでは教養にはつながらない。」

(69,70頁)

 本稿の冒頭では、教養の意味を「学問、知識などによって養われた品位」と位置づけましたが、他人の感想の寄せ集めで品位を養えるものとは、到底思えません。自分で嚙み切れるまで咀嚼し、消化できるまで何度も反芻することで、初めて教養を自分のものにできるのだと思います。

リベラルアーツ:人間の「芯」をかたちづくる学び

 本書の中で、著者はリベラルアーツを「人間をより人間らしく育てることを目的とした教育」であり、「人が人であることを貫くために必要な精神の力を養う学び」、また「生涯にわたってもち続ける人間の「芯」をかたちづくる学び」であると説明しています。そして大学の役割について、知識や技能を学ばせると同時に、リベラルアーツを通して学生に「志」を与え、卒業後も胸の奥深くにずっと燃え続けるような「信念の灯」を灯すことだと論じています。
 この不確実な時代において、人間の「芯」となる教養の重要性はますます高まっていると感じます。同時に、社会に出てからも絶え間なく学び続ける姿勢こそが、豊かな人生を築くために欠かせないものだと思います。

 最後に、本書はリベラルアーツを主題としていますが、図らずとも生成AIの進化に伴う教育のあり方についても論じられています。今回取り上げた五木氏との対談はもとより、他の識者との対談も興味深い内容となっておりますので、興味を持たれた方はぜひ本書をお手に取ってみてください。

この記事が参加している募集