JUAA職員によるブックレビュー#21
こんにちは。総務部総務課の坂上と申します。総務課にて、主に法人運営や人事関係の業務を担当しております。
ブックレビューもついに20回を超えましたね。今回は、近年大学教育の話題でよく耳にするリベラルアーツについて取り上げます。言葉は知っているけれど、実際の大学においてどのように扱われているかイメージが沸きにくい人もいるかもしれません。
そこで、こちらの本を紹介します。
本書は、リベラルアーツ教育研究者の中村氏がリベラルアーツを学ぶ意味についてその源流となった諸賢人の著作とともに論じています。
第1~3章ではプラトン・アリストテレスが登場する以前のギリシアについて、第4~6章では彼らの著作からその思想を読み解いています。第7章以降ではその思想が今日のグローバル社会における中枢の価値体系へと至る過程を説明しています。これらの内容は中村氏が大学在学時に経験したコロンビア大学のリベラルアーツ教育に基づいており、本書では「哲学」に焦点をあててそのカリキュラムをまとめています。
コロンビア大学の学士課程では、最初の2年間において、全学生がギリシャ・ローマから近代に至るまでの数々の古典書を注釈書ではなく、あえて翻訳原書で読む授業が展開されています。著者の言葉を借りるなら“まさに修行のような苦難の道です”。(28頁)
コロンビア大学のシラバスでは、その意味を以下のように述べています。
このカリキュラムを終えて初めて学生は専攻領域を申請することができます。これは、専攻領域を選んでから入学する日本で多く見られる大学の体系とは異なっていることがわかります。
私自身、大学在学時に大変丁寧な注釈が付いたアダム・スミスの『道徳感情論』(上)を半分も読めずに挫折してしまった経験があるため、コロンビア大学の学生に求められている作業の困難さがよくわかります。
では、なぜこれほどの苦労を経てまでリベラルアーツを学ぶのでしょうか。
中村氏はリベラルアーツを人間修養のためのトレーニングだと捉えています。“「人間とは何か」「どう生きるべきか」という根源的・普遍的な問いについて学ぶことで、世界中のどこでも、あるいは政治でもビジネスでもあらゆる社会で能力を発揮できる人間を育てること”がリベラルアーツの目指す先だとしています。(35-36頁)
そのために、コロンビア大学のリベラルアーツ教育では、ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』からダーウィンの『種の起源』まで、時代を問わず様々な賢者と古典書が題材となっているのです。
ここからは、私が本書の中でも特に身につまされたアリストテレスの思想について紹介します。
アリストテレスは「万学の祖」とも呼ばれるギリシアの大賢人で、より「善い国家」を作るためには政治や教育の力によって正義・不正義、善と悪といった価値観を「習慣づけ」る必要があると考えました。
加えて特徴的なのは、「閑暇」つまり暇の重要性を説いていることです。
本協会におりますとリベラルアーツや「善い」教育について考える機会は増えますが、自分自身の教養や「善き魂」を養うことについては疎かになってしまいがちです(社会人共通の悩みかもしれませんが)。
この機会に自身の生活を振り返ってみると、平日は家事に追われ、休日は頭足類がインクを塗りあう「遊戯」(任天堂switchのゲーム「スプラトゥーン」)に興じていることに気付きました。せわしなく過ぎる日々の中で、意識をしなければ「閑暇」の時間がどんどん失われてしまうことを初めて実感しました。ブックレビューを書くにあたって久々にアダム・スミスの『道徳感情論』(上)のことを思い出したくらいです。
この「閑暇」について取り上げているアリストテレスの著作『政治学』は、2400年経った現在でも読み継がれ、私たちに新しい知見を授けています。
変わり続ける時代の中でも変わらない価値観を提供してくれるこのような古典書は、私たちがこれからの時代をどのように生き、そして何を考え、何を忌み嫌い、何を尊んで生きていくかを考えるヒントを与えてくれるでしょう。リベラルアーツを学ぶ意義はそこにあるのではないかと感じました。
社会人生活も長くなるとやはり今役に立つ知識の習得に偏ってしまいがちです。
そんな時こそ、一歩立ち止まってはるか昔の賢人と人類の叡智を巡る旅に出かけるのもいいのかもしれません。