
『世界大学ランキングと知の序列化-大学評価と国際競争を問う 』【ブックレビュー#46】
このコーナーでは、大学基準協会職員が自らの興味・関心に基づく書籍等を紹介しつつ、それぞれが考えたことや感じたことを自由に発信していきます。大学の第三者評価機関に勤める職員の素顔を少しでも知っていただけたら幸いです。なお、掲載内容はあくまで職員個人の見解であり、大学基準協会の公式見解ではありません。
皆さま、初めまして。国際企画室所属の森と申します。私は昨年秋に入職したばかりですが、本協会の選考を進むにあたって、ここで働く人の雰囲気を知るために、このブックレビューをよく読んでいました。今は書く側に回っていることに感慨を覚えつつ、この記事を通して本協会の雰囲気や職員について少しでも知っていただければと思っています。
ランキング人間である私
初めての執筆ということで、私の近況を簡単に紹介させていただきます。最近買ってよかったものは、Sharkのハンディタイプの掃除機です。アマゾンのランキングが高く便利そうだなと目を付けていたところ、セールになっていたので即購入しました。パワフルかつ小型なので、狭いところの掃除にとても役立っています。また、私は食べることが大好きなのですが、先日行った神楽坂の焼肉屋さんは、「食べログ焼肉100名店」に入っていただけあって、お腹も心も一杯になりました。
ご覧の通り、私の生活は、「ランキング」に支配されています。インターネットに簡単にアクセスできる今の時代、何かを選ぶときには「ランキング」や「評価」を逐一チェックすることが一般的になりつつありますが、世代なのか時代なのか、私もその一人である自覚があります。
そんなランキング人間である私が今回選んだのは、『世界大学ランキングと知の序列化-大学評価と国際競争を問う』です。
石川真由美『世界大学ランキングと知の序列化-大学評価と国際競争を問う』京都大学学術出版会、2016年
この本は、世界大学ランキングがどのように形成され、どのような影響を及ぼしているのかを多角的に分析しています。石川氏は大阪大学未来戦略機構の教授(当時)として高等教育の国際化に関する研究を行っており、本書はその集大成ともいえる内容となっています。
ここで、世界大学ランキングとはなんぞや、という方のために少し解説を挟みます。「世界大学ランキング」とは、平たく言えば、文字通り「世界」の「大学」を対象とした「ランキング」です。これは、公的なものではなく、ミシュランや食べログ、個人の美食家やグルメ雑誌などがレストランのランキングを発表するのと同様に、様々な企業などが独自に作成しているものです。本書の中でも触れられていますが、現在15以上の世界大学ランキングがあるものの、一般に「世界大学ランキング」と言えば、多くの場合「THE(Times Higher Education)」や「QS (Quacquarelli Symonds)」といった企業が発表する、世界的に有名ないくつかのランキングを指します。
日本では偏差値で進学する大学を選ぶことが一般的ですが(これも河合塾や駿台予備校などの企業が独自に算出しています)、世界の大学を特定の基準で評価しその数値を総合して序列化したこのランキングは、国の枠を越えた大学選びの基準となるだけでなく、大学の協定校選びの際の参考となるなど、大学の競争力や教育の質などを測るバロメーターとして機能しています。
さて、世界大学ランキングについて理解したところで、肝心の内容へと進んでいきましょう。
本書の構成
本書の構成は序章と4部からなり、各部で世界大学ランキングに関わる重要なテーマを掘り下げています。
第一部:大学ランキングの社会経済構造
第二部:世界で評価されるとは―現場からの報告
第三部:ランキングと世界の高等教育の再編成
第四部:新しいメトリクスのために
序章に続く第一部では、大学が「世界大学ランキング」などの数値で測られるようになった経緯を分析しています。執筆者の一人であるスーザン・ライト氏によれば、教育のように複雑なものを成績として「数値化」し、順位をつけるようなやり方は、元々大学から生まれたものであり、それが後に、競争国家が国家や組織間の競争を促し管理するための「ランキング」に取り入れられ、ビジネスなどで活用されるようになった後、組織としての大学を測るものとして戻ってきたと言います。かつて大学は世間から離れた存在として神聖視されていたものの、監視文化の発達の中で情報公開の圧力に逆らえなくなり、現在では、ランキングは評判、学生の選抜、予算と資金配分、教職員や経営陣の評価など、大学のあらゆる側面と深く結びついているとされています。
第二部においては、世界大学ランキングと日本との関係性が描かれます。欧米に追い付くことを目指してきた日本は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われる経済大国に成長したことで欧米への「キャッチアップ」は終わったかに思われたものの、ガラパゴス化や模倣型の教育の行き詰まり、大国ゆえの問題などを様々に抱え、追いつくべきモデルを見失いながらもどこか「遅れている」という認識だけが残りました。そこにわかりやすい指標として「世界大学ランキング」のようなランキングが入り込んだと言います。
また、主要ランキングのほとんどは「インパクトファクター」をはじめとする「ビブリオメトリクス(論文の引用数や出版状況を数値化したデータ)」を指標として用いています。しかし、このビブリオメトリクスを作成する情報企業とそのデータベースに使用される欧米の学術誌の多くが、市場を独占する巨大なメディア・コングロマリットを形成しており、世界の学術コミュニケーションに大きな影響を与えていることから、世界大学ランキング自体の「健全性」に対する疑問が指摘されています。
一方で、第三部では、日本をはじめ、中国、香港、台湾などの東アジアの国々がどのように世界大学ランキングに向き合ってきたかが語られています。国を挙げてランキング整備を進める中国においては、中国自身の国際化への渇望と、留学生を獲得したい欧米の大学の利益が合致し、遠隔授業をはじめダブルディグリーなど、学位取得が中国国内で完結するプログラムが整備されていきました。
また、台湾では、大学の競争力や国際的な知名度を向上させるため、評価結果を公的資金の配分に結びつける仕組みが導入され、競争が促進されました。これに伴い、大学全体の評価の向上を目的として、各教員の研究業績が重要視されるようになり、SSCIなど欧米の主要データベースへの論文掲載数や引用数の増加が求められました。その結果、特定の分野や大学に資金が集中する事態が生じ、人文社会科学分野の研究者を中心に不満の声が高まったとされています。
最終章となる第四部においては、世界大学ランキングの活用方法やその問題点を踏まえた大学の新たな評価指標について議論されています。具体例として、U-Multirankが挙げられます。この指標は、一般的なランキングより評価項目を増やしてより多元的な評価を可能にしつつ、その結果の公表は各項目に対する評価の発表に留め、ランキング形式は採用していません。また、イギリスのREF (Research Excellence Framework)のインパクト評価は、研究が社会に与える価値をストーリー形式で記述させ、ピアレビューによって評価するもので、ビブリオメトリクスのような定量的な指標に定性的な評価を組み合わせた、新たなメトリクスを提示しています。
筆者は、世界大学ランキングをめぐる問題は単に方法論の問題だけではなく、アイデンティティ、権力や覇権主義、正義の問題であると語っています。本書はその言葉通り、世界大学ランキングの構造や、ランキングに翻弄される各ステークホルダーから見た権力や公平性、学問のあるべき姿などの問題点に包括的に焦点を当てながら、そこから一歩進んだ新たな評価のあり方を、その活用方法を含めて提唱しています。
「世界大学ランキング」の構造的問題
本書を読み進める中で私が特に印象深かったのは、ランキングが持つ構造的問題への指摘です。本書では随所にわたって、欧米偏重や分野によるデータの偏りなど、大学の研究力を測る主要指標であるビブリオメトリクスにまつわる問題点が様々に指摘されています。ビブリオメトリクスでは、通常そのデータベースに掲載された主に英語の国際紙への論文の掲載本数や引用数を数値化しますが、自然科学系の論文は主に英語の学術誌で発表される一方で、人文社会科学系の研究は特定の地域や社会に根ざし、その社会への貢献を目的とすることが多いため、英語以外の言語で成果を発表することが一般的です。また、人文社会科学系では、論文ではなく書籍で研究成果を発表することも多く、こうした特性がランキングのスコアに十分反映されない要因となっています。本書の中でも
「(学問上の競争は各専門分野の内部で個人が行うものであり、)物理学者Aと政治学者Bの業績を比較しても意味がない」
と指摘されていますが、このようなランキングの偏りを無視した過度な一般化を伴う評価が、資源の集中や教育政策の歪みを引き起こす可能性を筆者は懸念しています。
本書を読み終えて
「ランキング」の持つ客観的な響きにつられて、行く店や買うものを決めていた私には、ランキング結果をそのまま鵜吞みにしてしまう社会や、その結果に過敏に反応し、国を挙げてのランキング整備を進めようとする国、また、そのシステムを用い、それに対応し、結果として容認しているとされる大学などの「ランキングに踊らされる者たち」を鋭く批判する本書の内容は、高等教育に関わる者としてだけでなく、一市民としての自分の消費行動を見つめなおすきっかけになりました。
ランキングを利用する際には、結果だけに飛びつくのではなく「誰が」「どのように(どんな指標で)」「何の目的で」作成したものなのかしっかり確認することが重要だと感じました。また、比較しにくいものを比較しにくいという理由で低く評価することは不当であり、比較しにくいものを問答無用で比較するのは暴力的でもあるという考えにも深く納得させられました。評価を目的にするのではなく、あくまで手段として、選択された指標や方法の強みと弱みを意識しながら、その先の目的に応じて柔軟に結果を活用する態度こそが今を生きる人間に求められているのかもしれません。
その意味で本書は、「世界大学ランキング」に影響を受ける高等教育に関わる教育者や政策決定者、また評価に関わる我々のような人間だけでなく、あらゆる「ランキング」に囲まれた生活を送る、多くの現代人が学びを得られる良書だと思います。(なお、世界大学ランキングについては、スイスのチューリッヒ大学やオランダのユトレヒト大学が撤退を表明するなど、関連のニュースもありますので、興味のある方はぜひ調べてみてください。)
最後に
最後に、私が所属する国際企画室では、海外の質保証機関と共同で国際的な認証評価を行っていますが、その取組みは、元々国や地方ごとに行っていた高等教育の評価に共通の尺度を持ち込み、個性や違いを尊重しながらも最大公約数を探していくものです。そうして培った土台の上に、国の枠組みを超えた大学間の連携などが育まれていくと信じています。ただ、異なるもの(制度上の位置付けや教育システムの異なる大学)を同一の基準を用いて評価することや、評価の中で参考となるデータや評価の結果を客観的な指標に落とし込む作業の難しさを感じることも少なくありません。
教育のグローバル化が進む中、大学をはじめとする高等教育の評価を、本協会として、あるいは質保証機関単位や国単位で、はたまた世界レベルでどのように行っていくのか、高等教育の評価という営みを問い直し続けることは本協会の重要な使命であると思います。その使命に少しでも貢献できるように毎日の業務を積み重ねていきたいです。
次回のブックレビューは、私と同じ2024年入局組である長谷川さんが担当されます。きっとユニークな視点で興味深い1冊を紹介してくれるはずです。どうぞお楽しみに。