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JUAA職員によるブックレビュー#12

 このコーナーでは、大学基準協会職員が自らの興味・関心に基づく書籍等を紹介しつつ、それぞれが考えたことや感じたことを自由に発信していきます。大学の第三者評価機関に勤める職員の素顔を少しでも知っていただけたら幸いです。なお、掲載内容はあくまで職員個人の見解であり、大学基準協会の公式見解ではありません。

 こんにちは。評価事業部の松原と申します。所属する第2課では、9つの分野の専門職大学院認証評価、獣医学及び歯学分野の分野別評価を実施しており、その中で主に公共政策系専門職大学院を担当して2年目になります。
 「公共政策」というと、政治家や官僚などの「一部の人だけが関係するもの」とイメージしがちですが、この分野での評価に携わってみて、私たちが「市井のふつうの大人」として生きていくうえで非常に身近な分野であることに気付かされる日々です。

 今回のブックレビューでは、そんな「市民としての私たち」の教育における示唆を与えてくれる書籍を紹介したいと思います。

小玉重夫著『シティズンシップの教育思想』白澤社、2003年

 本書は、近年、各国の教育改革のなかで重要な課題として議論されている「市民」のあり方を思考する「シティズンシップ(市民性)の教育」をキー概念として、その課題を整理し、新しい公教育思想の展望を明らかにすることを目指しています。
 まず、本書の前半は、哲学・教育思想が歴史の流れに沿って章立てされています。哲学(理論)と政治(実践)における対等な抑制と均衡=緊張関係を目指したソクラテスから始まり、プラトンの「哲人王のテーゼ」、フランス革命を経た啓蒙主義及びその失効により勃興してきたシニシズム、ルソーの近代教育論など、主に西欧の教育思想史に即して、ハンナ・アレントなどによる20世紀の解釈を交えながら俯瞰的に紹介され、それらが現代の「市民」教育を考えるうえでどのようなヒントを与えてくれるかいう視点から解説がされています。

 恥ずかしながら、中学・高校で学んだはずの倫理や世界史の知識はほぼ記憶の彼方であり、本書で久しぶりにソクラテスやプラトンをはじめ、主要な思想・哲学に触れました。考えてみれば当たり前のことですが、彼らの思想を俯瞰的に辿ることで、今日の教育は突然構築されたものではなく、時代や場所を越えて連綿と続く思想・哲学、そして政治との関係のなかで育ってきたものであることを改めて自覚させられます。

 そして、本書の後半では、日本におけるシティズンシップ教育の可能性について、戦後の日本社会における近代教育(「自然人の教育」「一般的で抽象的な人間の教育」)の担い手として重要な役割を果たした3つの構成要素を軸に検討がされています。
 すなわち、著者は、日本の高度成長を支えた構図は、①家族、②学校、③企業社会のトライアングルであったとしています。

「学校からの卒業=就職=親からの自立=大人というふうに、子どもから成人へと移行すること、すなわち大人になるということが、家族、学校、企業社会のトライアングルのなかで位置づけられていた」

(本書p101より引用)

 しかし、バブル経済の崩壊とともに、このトライアングルは揺らぎはじめ、「子ども」と「大人」の境界もまた曖昧になってきていると言います。
 もともと、戦前の日本においては、国家に対する責任の分担関係に入ること(徴兵など)が「大人になる」ことの意味をなしており、家族、学校とともにトライアングルを形作っていましたが、戦後は国家にかわり企業社会が前面に出てきました。戦後民主主義においては、個人と国家の関係が十分に考えられてこなかったため、「大人」が国家との関係を引き受けること自体をタブー視する風潮があり、その結果、戦後の日本においてシティズンシップという概念が育たなかったと著者は指摘しています。

 本書はそういった社会の移り変わりを踏まえて、学校の役割、また、そこで教育を担う教師像の変遷を検討しており、著者は、これまでの学校教育においては、市民としての「政治的な自立」と職業人としての「経済的な自立」の両方を保障することが求められていたが、これらを分節化して捉えたうえで、学校においては政治的な自立の課題に焦点化することを考えるべきであるとしています。そして、公教育としての学校の固有の存在意義を「(教育の)過去と未来の衝突の場」として捉え直し、学校は社会の批評空間(クリティカル・スペース)として、市民が現代の諸問題を判断する政治的判断力を養い、社会のなかに公共空間を作り出していく役割を増大していくことが期待される、と結んでいます。

 本書における「学校」は主に中等教育の場が想定されていると思われますが、著者の主張する学校の固有の存在意義は、中等教育に限らず大学での教育においても重要な示唆を与えていると感じました。
 今日の日本では、私たちが市民として生活するうえで重要であるはずの「政治」が自分ごととして語られることは少なく、それを議論することがタブー視される傾向もまだ根強いように思います。若年層の選挙投票率の低迷なども話題になるなか、大学進学率は50%を超え、大学は、「子ども」が成人期への移行を過ごす場として、その領域を拡大していると思われます。そういったことから、自覚的に社会に関わる「大人」となるための政治的判断力を涵養することは、大学教育の重要な役割といえるのではないでしょうか。
 これからの大学教育をどのようにつくっていくか、そして自らも「市民」としてどう自立していくか、「シティズンシップの教育」という視点で考えてみるきっかけとなる一冊かと思います。

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