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JUAA職員によるブックレビュー #1

 このコーナーでは、大学基準協会職員が自らの興味・関心に基づく書籍等を紹介しつつ、それぞれが考えたことや感じたことを自由に発信していきます。大学の第三者評価機関に勤める職員の素顔を少しでも知っていただけたら幸いです。なお、掲載内容はあくまで職員個人の見解であり、大学基準協会の公式見解ではありません。

 こんにちは。総務企画課の藻利と申します。
 
 「JUAA職員によるブックレビュー」の記念すべき第1回目を担当することになりました。ちなみに、「JUAA」は、大学基準協会の英語名称 Japan University Accreditation Association の略語です。
 
 入局して今年で10年目を迎える私は、5年間評価事業部において認証評価業務を担当した後、総務部に異動となり、現在は主に広報関係の仕事をしています。

 そんな私が今回紹介する一冊はこれです。

イヴァン・イリッチ著、東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』東京創元社、1977年

 小学校から高校までの12年間、毎日学校に通い、授業こそ何よりも大切な学びの場であると信じていた当時の私にとって、イヴァン・イリッチ氏(以下「イリッチ」という。)が提唱した「脱学校化」は、学校を無くさなければならない(※)という衝撃的な内容でした。それは、これまでの私の学校中心の生き方を否定するようなショッキングな内容でしたが、その一方で、述べられていることに共感できる部分もあり、今までにない不思議な感覚に陥ったことは今でも忘れません。

(※)よくよく読めば、無くすべきは当時の学校の持つ特定の機能であり、学校を無くさなければならないとは述べられていないのですが、学生の私には「脱学校化」という言葉があまりに衝撃的過ぎて、そのように捉えてしまったのです。

 そして、このような経験をきっかけに、当たり前の世の中を疑ってみることの大切さや、教育や学習という言葉の奥深さを知ることになりました。
 
 このように、本書は私の人生に大きな影響を与えた書籍の1つであり、今回改めて読み直してみたいと思い、取り上げることにしました。

 それでは、レビューを進めていきたいと思います。

 まず、イリッチは、自身が提唱する「脱学校化」において、その前提となる「学校」を以下のように定義しています。

「学校」を、特定の年齢層を対象として、履習を義務づけられたカリキュラムへのフルタイムの出席を要求する、教師に関連のある過程と定義する。

(本書59頁)

 そして、こうした「学校」においては、以下のような状況が生じていると批判しています。

学校においてわれわれは、価値のある学習は学校に出席した結果得られるものであり、学習の価値は教えられる量が増えるにつれて増加し、その価値は成績や証明書によって測定され、文書化され得ると教えられる。
自分たちの人格や認識能力は学校で念入りな計画や操作を受けた結果向上すると思い込まされるのである。

(いずれも本書80頁)

 イリッチは、「学校」で教え込まれるこのような制度化された価値が、本来人々が必要とする多様な学習機会を妨げているとして、「脱学校化」の必要性を主張していきます。そこには、これまで人々の学習機会の1つであった学校が、そこに通うこと自体に価値が見出されるようになって、「学校」での学習こそ価値があるとする考えが人々の間で共通認識となり、そうした制度化された価値の下で社会が形成されていくということに対する同氏の強い危機意識がありました。

 本書が出版されてから40年以上が経った現在、日本では大学への進学率が上昇し、18歳人口の半数以上が大学や短期大学へ行く時代になりました。そうした状況にあっては、学問を究めるために進学するという者ばかりではなく、例えば、より賃金の高い会社に就職するためには大学を卒業することが必須であるといった理由から進学するというように、学習の機会というよりはむしろ卒業証明書を求めて入学する者もおり、大学での学びに価値を見出さず、大学に行くこと自体に価値を見出すという、ある種の「学校」の状況が見られるようになっています。

 こうした状況に対して、近年の大学改革では、「学修者本位の教育への転換」を掲げ、人々の自律的な学習を促し、多様な教育機会を提供することを目指して、学生が「何を学び、何を身につけることができたのか」ということを大学に明確にするよう求めています。
 また、コロナ禍によるオンライン授業等の普及により、時間や場所の制約が無くなりつつある状況や、動画配信サービスの充実などによって、ここ数年で学生の学習環境は急速に多様化してきており、学生は自らの興味・関心に基づき主体的に学ぶことが以前よりも容易になっているようにも感じています。

 イリッチは、「脱学校化」を図るうえで、「公衆が容易に利用でき、学習をしたり、教えたりする平等な機会を広げるように考案された新しいネットワーク」(本書143頁)の必要性を説き、全ての人々が相互に学び合う環境が必要であるとしていますが、大学教育もまさにこうした学習者中心の教育活動に転換することを求められており、現在はその転換期の真っ只中にあるように思われます。

 以上に見てきたように、本書は出版されてから40年以上経つにもかかわらず、現代の教育問題にも通じる重要な視点を我々に提供してくれています。私自身、約10年ぶりに読み返してみましたが、改めて本書の重要性を認識しました。


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